友人の死を通して考える自分の生き方
先週に、友人が、つてを通じて具合があまり良くないと聞いて案じていたのも束の間に
今週亡くなった、という知らせを受けた。
あまりにも呆気なく
あまりにも急なことで
あまりにも
あまりにも若かったから
気持ちもついていかなかったけど、
けど、もうその方の肉体はこの世にはなくなっていて
もう動いている姿を見ることはできなくて
もうその朗らかな笑顔を見ることはできなくて
もうその温かな声を聴くことはできないのだなと
思うと涙腺がこみあげてきてしまう。
英語が堪能であったけれども、そちらを活かすお仕事には就かず、
牧師という献身する道を選ばれた人。
生前に多くのお世話になった人が、葬儀の列を作っていたと聞いたけど、
本当に私も、多くの人に慕われる人になりたいというのが私の人生の目標です。
自分が生まれてきた価値も意味も見出せなくて、自己否定が強い時もあったけれど、
自分に目を向けられるようになってからは
もっと「自分を作ること」が甲斐があることになって、
挑戦もしたり、性格を省みたり、足りない自分を認めることもできるようになって、少しづつの成長をしてきたつもり。
40代半ばになって、まだまだ相手のことも分かろうと努力し、時に傷つけてしまっている時もあって
相手にも申し訳ないし、自分自身も落胆するから、
慕われるという目標にはまだまだやーって思うけど、
いつかは!って諦めないで毎日、朝に決心してスタートしている。
だから、今日も、
命ある人と出会い、
縁があって共に何かをしたり、話したりするだけでも貴重に想う。
うん、今日が大事。
今が大事。
あなたが大事。
私も大事。
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